静岡県 出身地 [01]

僕が育ったのは静岡県です。生まれだけ東京都。静岡県は日本のほぼ真ん中くらいにあって、伊豆半島、富士山、駿河湾、浜名湖なんかが有名ですね。駿府城や浜松城には徳川家康が住んでいたそうです。で、静岡県って東西に長いんですよ。なんと新幹線の駅が6つもあるんです。東京寄りから順番に「熱海」→「三島」→「新富士」→「静岡」→「掛川」→「浜松」ですね。この中で僕の最寄り駅は「浜松」です。が、実家はさらに西、つまり浜名湖を越え、さらに愛知県境の方へ東海道本線に乗って行った所にあります。そこに高校生までいましたので、子供の頃の思い出は、すべてそこでのモノです。

保育園は父の勤務する会社の団地内にあって2年間通い、市立の幼稚園には1年間、その後、市立小学校に通いました。小学校までの道のり約3kmは、児童には結構大変だったと思うのですが、朝は時間ギリギリなことも多くて、いつも走って通っていました。おかげで持久走とかマラソンは、好きな方でした(笑)。小学校3年の12月に、団地から父が自分で設計した一戸建ての家(現在の実家です)に引越したので、学校までは1.5kmくらいになりました(同じ学区内だったから転校はしていません)。しかし、同じ団地にいた友達が全国に散り散りになってしまったので、とても寂しかったです。それ以来、未だに会っていない人がほとんどだし。

中学は学区内になかったので、隣町まで通いました。ただしここでも寂しいことが。小学校の4クラス全員を受け入れられないとのことで、2クラスずつ別々の中学に通うことになったのです。駅から半径1kmの円内に住む生徒は電車通学する中学校へ、そして円の外に住む生徒は自転車通学する中学校へ。つまり本人の希望とは関係なく、駅からの距離によって中学校が決められてしまったのです。僕の一番の親友とは別々の中学校となり、それが一番寂しかったです。しかし彼とは接点がありました。お互い中学では吹奏楽部に入ったので、コンクールや地域の演奏会などで顔を合わせたし、何より中学三年の高校受験の頃、同じ塾に通ったのです(僕が人生で唯一塾通いした経験です)。そこは個人経営だったのでクラスが6〜7名くらいで、みんなで勉強を競い合いました。おかげで全員希望校に進学。といってもその彼とは違う学校だったけど、浜松市内だったので、通学の電車の中では会うこともありました。部活はお互い吹奏楽部でした。なんていうか、いつもどこかで意識している、心のライバルのような存在でしたね。

高校までの通学時間は1時間くらいだったかな。僕は入学式よりも前から、つまり春休みから吹奏楽部に顔を出していました。「今度入学することになりました!ヨロシクお願いします!」って。それほど高校に入ったら部活に打ち込もうと決意していたんですね。入学後、そのまま吹奏楽部に入って、希望通りトロンボーンを吹かせてもらえる事になりました。もしもこの時の選抜で別の楽器になっていたら、今ライヴなどでトロンボーンを吹く僕は、多分存在しなかったと思います。その時にはちょっとしたことでも、それが後の人生に大きく影響を及ぼしていることって、実は多いのかもしれないですね。

朝のHR前、昼休み、そして放課後と毎日毎日楽器を吹き続けました。3年生になる直前の春休みの定期演奏会を最後に引退して、そこから受験体制に入りました。でも朝は毎日楽器を吹きに朝練へ。気晴らしにもなるんですよね。もう一つ青春っぽい(?)理由もあったのですが・・・・・初恋の思い出ネ*^^*。毎朝、用務員のおじさんが鍵を開けてくれる時間に登校していたので、生徒の中では1番乗りってことですかね?トロンボーンを吹いている時間は幸せでした。今考えると、楽器を吹くために高校に通っていた気がします。おかげで3年間、欠席も遅刻も早退も無く、卒業式では三ヶ年皆勤賞を頂きました。すべてトロンボーンのおかげです(笑)。実は中学3年生の時もそうだったので、実質4年間なんですね。一番元気があって頑張ってた頃だなぁと思います。

大学からは東京に出て来てしまったので、またの機会にお話したいと思います。静岡県での思い出でした。
2005/06/05記、06/09、2006/09/02加筆

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